はじめましてTOIROの森田です。

この度は森田祐子の自己紹介ページを開いてくださり

誠にありがとございます。

こちらでは自分の体験してきたことを振り返る事で、改めて自己紹介とさせて頂きます。

少々長くなりますが、知って頂けたらこんなに嬉しい事はありません。

それでは紹介させていただきます。

1982年 11月23日

埼玉県の戸田市で生まれました。

2歳の頃に川越市に家を建てそこからずっと在住していました。

父はサラリーマン

母は専業主婦

父方の祖父と

私、5つ下の弟、7つ下の弟の

長女として育ちました。

小さい頃は人見知りの恥ずかしがり屋で、

知らない人がいると親の後ろに隠れてしまうような女の子でした。

幼稚園では、先生に抱っこされているような泣き虫でわがままな娘だったと思います。

幼少期は父は当時サラリーマンの営業の為、朝は早く、帰りは遅かったので小さい頃は

祖父との時間の方が多く、将棋をしたり、毎日行くコンビニについて行ってお菓子をかってもらったり

祖父の部屋にいる事が多かったです。

弟もそうでした。

祖父が大好きでした。

小学校の低学年は学校が終わると家に帰りすぐに外に出かけて男子女子とドッチボールや

鬼ごっこ、鉄棒など、外遊び中心の生活でした。

中学年~高学年は変顔したり、ふざけるのが好きで、友達からは将来

芸人になった方がいいよ!と言われてました。

今思うと、多分、目立ちたかったのか、

恥ずかしいからおちゃらけてごまかしていたかだったと思います。

ゲームも大好きっ子でした。

幼稚園の頃、ファミコンが出始めて、その頃はまだ買ってもらえなかったので

もっているお友達のおうちに遊びに行ってやらしてもらっていました。チョー迷惑だったと思います...反省

小学校になって買ってもらってからは休みの日はゲーム生活でした。

私が好きなのは、ドラクエ、FF、などRPG派でした。←やってる方にしか分からないと思いますが..

弟ともマリオカートなど一緒にゲームしたりしてました。

小学校6年生の12月に祖父が亡くなりました。

本当に優しくて大好きな祖父だったのでショックでした。

祖父が家に帰ってきてからもずっと泣きっぱなしで

ひと時も離れないでそばにいたのを今でも覚えています。

そんな小学校時代が終わり中学校生活になり部活が始まりました。

ソフトボールの生活

私が中学生になってからは弟たちは少年野球を始めて、

土日は母はお茶当番や応援、父はその少年野球のコーチを始めました。

私は部活見学で、吹奏楽かソフトボールで悩みました。

でも、小学校の時に野球好きな父がキャッチボールを教えてくれて

たまにやっていたのもあって、ソフトボール部の入部体験でボールを投げたら

凄い!早い!と褒められて、ソフトボールに決めました。単純ですよね 笑

守備はピッチャーでした。

本当は野球がやりたかったけど(上投げが得意でソフトボールは下投げなので)

当時女子はソフトボールだったのでそうなりました。

中学3年間はソフトボールに捧げていました。

おかげで真っ黒の靴下’焼けが凄くて、裸足にスカートが履けない、というかむしろ

履いてるんじゃないかくらいポッキーみたいに焼けてました。

途中、中学2年の頃だけお友達の影響でちょっとだけ悪ぶりたい時期がありました

ちなみに3年生になりお友達が変わり、戻りました。

その時から部活でも野球部の男の子と仲が悪くなり対立している時期がありました。

今は何でだったのか理由があんまり思い出せませんが、、、

今思えばそのせいだったとは思いますが男子が嫌いだったので私立の女子高に行きたかったのですが

親から公立に行きなさいと言われていたので

公立の女子高は、残念ながら私の学力ではいけなかったので仕方なく公立の共学に行きました。

でも、高校は想像よりも楽しく、電車通学で乗り換えもあり1時間半かかりましたが

友達にも恵まれて楽しい高校生活を送ることができました!

そこで今の親友にも出会いました。

本当は高校でも部活をやるつもりで選んだ高校だったのに、

ソフトボール部が3年生5人しかいなかったので辞めました。

情報収集不足。。。自業自得ですね。

なのでバイトをしよう!

と思ったのですが、人見知りなので、接客は絶対いやだ!

と思っていた矢先に、友達に誘ってもらったケーキ屋で土日の午前中だけバイトしてました。

しかもここだけの話、売るんじゃなくて作っている側をしてました。

小さい工場で、社長が焼いたできてるスポンジ切って、蜜塗って生クリーム塗って重ねて

工場長に教わったデコレージョンをヘラと回転盤でくるくるしながら作ってました。

我ながら上手だったと思います。というか楽しかったです!

なので3年間続きました!

美容師になるきっかけとなる高校生活

高校時代はちょうどアムラー世代だったので、(アムラーとは、安室奈美恵さんの真似をしたギャル達)

ガングロ、ルーズソックス、ミニスカートが流行りでした。

私はというと、ガングロ以外はしてました。

顔を黒くするのは普通に将来シミヤダと、冷静に将来の事を考えてました。

高校2年生くらいになると、ギャルと原宿系に分かれ、ルーズソックスから紺の靴下、略して紺そくに分かれました。

私は、制服の時はギャル系、私服は原宿系と、どっちもをやってました。

ただ欲張りなだけだったのと、周りの友達の影響も大きかったと思います。

ちなみにグレたりはしてませんので!普通にファッションだけ楽しんで

中身は相変わらずおちゃらけてました!

私の時代は高校の時、土曜日学校があったので、午前学校終わったら

友達の髪の毛をアレンジしてその足で原宿に遊びに行ったりしてました。

メイクもよくさせてもらって、当時はインスタントカメラやチェキで

そのメイクとヘアスタイルの写真を撮らせてもらっていました。

懐かしい。

校則で染めるのダメだけどちょっとずつ明るくしたり、夏休みはブリーチして金髪にしたり頭皮かぶれてしるでてきた。。

そのころには大分美容に興味がありました。

そして高2で自分のバイトで貯めたお金で初めて縮毛矯正をかけました。

ずっとクセ毛にコンプレックスがあったので

その感動ったらありませんでした。

私の髪が。。。サラサラに♪

そっからは半年に1回コツコツバイト代を貯めて矯正かけてました。

そして3年生、将来の進路を決める時が来ました。

最初から大学に行く選択は私の中ではありませんでした、

勉強が嫌いだったので...

専門に行くか就職するか!でした。

最初はメイクの仕事がしたくてメイクアップの仕事に就けるような所を

探していましたが当時の先生が色々調べて下さって、メイクだけだと狭くて

難しいから、美容師免許を取った方がいいんじゃないかと美容室の就職を

薦めてくれました。

正直、美容師、という頭は全くありませんでした。というよりも

私に美容師なんてできるわけないと思っていたので、はなから考えていませんでした。

でも、その選択肢がでて、じゃあ美容室に就職する!

と決めました。

普通なら専門学校を選択する人がほとんどなのですが

私は、やるなら美容室で働いた方が絶対早く仕事覚えられるし、

しかもお給料も出るし!という思いで見習い、という形で

美容室に2件目の面接で受かりました。

なので、美容師の免許は通信で取りました。

通信は3年間、で実技は普通の美容学生が夏休みの時に通信制が通う

というシステムでした。

美容師人生の始まり

私が就職したサロンは家から原付で5分もかからない場所でした。

正直、この最初に就職したサロンが私の原点でもあり

TOIROのお店の原点でもあると思います。

当時は「先生」とオーナーの事を読んでいました。時代ですね笑

高校生だったので右も左も分からず、ただただ、教えてもらったことを一生懸命にこなしていました。

ただ1つなかなか困難だったのが「いらっしゃいませ」

の一言がなかなか言えませんでした...

高校も接客が嫌だから裏方のバイトをしていたのに、いきなり接客の世界に入り

「いらっしゃませ」が恥ずかしくて言えませんでした。

人と話すのは好きでもお客様と話すのは本当に最初苦手でした。。。

でも先生も店長もそこを焦らせる訳でもなく、お客様のヘルプで一緒にカラーを塗ったり

する時に、話を振って下さり、私らしさが出せるようにひきだしてくれて

少しずつお話ができるようになりました。

見守りながら教えてくれる先生で、何でもやってみな!という教え方でした。

なので怒られた記憶はありません。。

逆にその期待に応えたい‼と思わせてくれる先生でした

店長は私がスタイリストになる時の目標となる唯一の存在です!

凄い仕事が早くてカットも上手くて、多くは語らず見て覚えなさい的な感じでしたが

聞けば丁寧にわかるように教えてくれました。

圧があるという事ではなく、まずは自分で気づき、やってみて、

分からなかったら聞く。という事を自然に背中で教えてくれる方でした。

とにかく早くスタイリストになることが目標でした!

この最初のお店が、まずご来店頂いたお客様には必ずマイクロスコープで

頭皮を見てから施術に入るという、頭皮と髪をしっかり考えてるお店でした。

なので当時は毎月都内まで講習会に行き、頭皮やカラーの勉強に行ってました。

今思うと本当にその経験は貴重だったと思います。

そこで頭皮の大事さを学べて知識が入っていたので今のTOIROのベースはそこにあります!

ただ!そこのお店のお客様層がご年配の方が多く、まだ私も若かったのでもっと

若い子をターゲットにした技術やトレンドが提供できるお店に働きたい‼

という思いが強くなり、でも先生や店長には本当に感謝の気持ちもあり

裏切ってしまう形になるんじゃないかと1年間悩んでからやっぱり!と思い打ち明けました。

先生も店長もがっかりはしてましたが、最後は納得して下さり、頑張ってね!

祐ちゃんなら大丈夫‼と背中を押してくださいました。

それが25歳の年でした...

その後が大分過酷な美容師生活でした。

先生と店長が優しかった中で育ってきたのでこんな厳しい上司が人がいるの⁉

というギャップで、正直何度も心折れましたが、負けず嫌いの性格で何とか乗り切ってきました。 

私が経験してきたお店はそれぞれ特徴がみんな違くて、

レザーカットメインのお店、その次はドライカットがメインのお店

その次はウエットカットがメインのお店。

なので、ラッキーな事に、そこで色々学べたのでカットの幅が広がりました。!

でも一番美容師人生で大きかったのは、スタッフの存在でした。

スタッフには恵まれた美容師人生でした。

スタッフの仲間がいたから、どんなに辛くても頑張れた所は本当にありました。

美容師は男女関係ない社会なので、私は、男には負けない精神が人一倍強かったので

何人か衝突した男性スタイリストもいましたが、最終的にはその人が一番信頼できる仲間になってたりしました。

とにかく20代は大分強気な感じの美容師スタイルでした。

美容師から母に

30代になると、店長を任され、自分だけでなくスタッフの事や

お店の売り上げの事も考える環境に変わり、大変ではありましたが

楽しかった方が大きかったです!

最初のお店から4店舗のお店を経験し、店長という経験もさせて頂き

結婚し、2人の男の子を出産しました。

子供が生まれてから一気に生活環境と美容師としての考え方が大分変りました。

出産後は時短で店長をやりながら働いていました。

でもその時は無我夢中なので、子供が熱をだすと、子供の心配より、

お店のスタッフやお客様へ迷惑をかける事への罪悪感の方が強く

母親としてはいかがなものかと今は本当に思いますが。。。

そして、コロナ禍になり、そこで色々と考える事が増えました。

2人目はコロナ禍の妊娠出産でした。

2人目が生まれいよいよ家を建てるか、という話になった時、

お店をどうするか、という話になりました。

私は店長を任された経験から、経営の難しさや大変さを身に染みていたので

20代の頃とは打って変わって保守的でした。

最初のスタイリストになった時はいつか自分のお店を持ちたい!

なんて思っていましたが、経験を重ねてくると、現実にビビってしまい

お臆病になっていました。

しかし、その私の背中を押してくれたのが夫でした。

私がTOIROをオープンできたのも、夫の後押しがなかったら実現できていなかったかもしれません。

夫は鍼灸師で自営で自分の治療院を開業しています。

なので開業も、経験も先輩です。

まだ結婚前の夫と初めてのデートの時に

自分のお店を持ちたくないのか尋ねられたことがありました。

この人は普通に私を美容師として認めて見てくれている人だと思いました。

結婚後も夫は、自分でお店持った方がいいんじゃない。

と言ってくれていましたが、私がまだ子供も小さく自分に余裕がなく、返答に困ると

俺が大丈夫って言ってるから大丈夫だよ。

何の根拠があるのかわかりませんが当たり前のように言ってきました。

この人私を馬車馬のように働かせて稼ごうとしているんじゃないか?

とさえ疑った時もありました。

でも、真実は、1度きりの人生だから自分がやりたい事をやった方がいい、

子供との時間も限られているから、まずは自分のやり方で好きなようにやりな。

という人でした。(その方が夫も安心という背景もあったとは思います)

今となっては私より、私を信じてくれていたんだと思います。

でも確かにその頃には私も40近くなり、体力的にも厳しくなってきたこともあり、

将来の事を考えた時に今の職場で働き続ける未来は想像できませんでした。

何よりも、カットだけして他はアシスタントに任せる。

という働き方にも限界がきていました。

きちんと最後までお客様の施術をしたいし、責任を持ちたい。

お客様と本当の意味で向き合いたい!

という思いも強くなっていました。

でも、雇われている以上その会社のやり方に従わなければいけないし、

私が’売り上げないとアシスタントのお給料もでないし、と

馬車馬のように働いていました。

でも子供が生まれ、考え方が90度変わりました。

一番最初に働いていた先生に、言われた言葉がずっと残っていました

「仕事はいつでもできる、でも育児はまってくれないしやり直しがきかない」

仕事人間だった私が、

やっぱり、美容師も長くして行きたいけど、

今しかない家族との時間もしっかり増やしたい。

そういう思いを自分で描くようになっていきました。

自分の本当にしたい生き方とは?

という問いを自分にするようになったからです。

そう思った時に自分のお店を出せば子供の事も仕事もどっちもできる!

と思いました。

やっぱり私は美容師というお仕事が好きなので、手放す選択はありませんでした。

夫は、それが良いと思うよ、

と最初から分かっていた位のテンションでした。

自分のお店とは。。。

そしてTOIROをオープンするに当たって、私はどんなお店にしたいんだろう、、、

と、長年美容師をしてきた自分を振り返り、迷わず決まっていたことは

マンツーマンサロン!という事です。

誰も雇わず、1対1でお客様のデザイン=髪と人生に寄り添える美容師でありたいと思っていました。

美容師人生の中で一緒に歳を重ねていくお客様も、悩みが変化してきました。

そして、似合うデザインも変わってきます。

女性はいくつになっても年齢関係なくキレイでいたい、女性でいたい、という

その気持ちを近くで見てきた時に、その変化さえも楽しんで頂きたいし、

お悩みがあれば共感するだけではなく、きちんと解決策もお伝えできる美容師でありたい!

という思いがありました。

マンツーマンだからこその良さはそれ以外にもたくさんありますが

何よりも

私という人間を美容師として人として、必要としてくれる人と出会い

一緒に理想の未来を目指し、歳を重ねていきたい!

という強い思いがある事を、この自己紹介を書いていて改めて気づきました。

そして同時に子供との関係も大切にしたいという思いもあります。

今は子供との時間も大切にしながらサロンワークができるこの環境こそが

私の理想であり、変化なのです。

だからこそ、学びも辞めませんし、常に変化し続けていきたいです。

お客様とも家族とも楽しく一緒に歳を重ねていきたいと思っています。

そんな思いでTOIROをオープンし今に至ります。

まだまだ変化中ですが

髪は人生を変えると本当に思っています。

だからこそデザインをお任せいただいた、そのハサミを入れる時も

TOIROで非日常を感じて頂きながらお客様ご自身の元々の髪の素材を活かし、

その人らしさが最大限活かされるよう、サロンを出た瞬間から

またお客様の人生の変化となり関りとなることを想い

美容師をしています。

こんな私ですが、今後も挑戦、貢献できるよう、感謝を忘れず

楽しんで精進し続けていきます。

これからもどうぞよろしくお願いします。

それでは、最後まで長々と読んでいただき、

ありがとうございました。

楽しく歳を重ねていこう!を応援する美容師

森田 祐子

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